少年時代 藤子不二雄 と 長い道 柏原兵三
2015年 03月 01日
この漫画は週間少年マガジンに掲載されていたのをリアルタイムで見ていたのだが、喧嘩のシーンしか印象になく物語の意味がわからなかった。
ある時、急に読み返してみたくなって、探して揃えた単行本(全巻)である。 1990年に映画化もされている。息子にそろそろ読ませようと思っている。厳密には同じではないが、息子が好きなドラえもんと同じ作者の「藤子不二雄」である。
ちなみに夏に昆虫採集に向かうと、限界集落付近では廃校も多く映画さながらの光景はまだ見ることがある。
戦時中の疎開先でのいじめの話だが、仲間内というかグループや派閥等といった中での上下関係、暴力や発言の強さ等、社会を学び判断力を養うことも、様々な環境の場から形成されていくのも事実だろう。
原作は「長い道」(柏原兵三著 講談社) 疎開先での事実体験談を綴った作品である。
表紙の「道」が印象的である。(追記:帯を外すと海があって、これは川かも知れません…。再考。)
この道は舗装されているが、現在も富山県入善に現存していている。
漫画からの最初の回想録の場面を掲載しておく。 原作の題名、表紙の絵、そしてこの場面は物語の内容を取りまとめるために大きな意味があると思っている。
世の中には、力のみで押さえつけ加減も知らない人間もいる。時代の変化とともに、このあたりを子どもとどう向き合うべきかボク自身考えないといけない。
話が逸れていくが、ボクが小さい頃、「俺のお父さん社長、お前のお父さんサラリーマン」とクラス中で言い放ち、親の立場を中傷する生徒がいた。今考えると何てことはないが、自分の親のことに触れられると腹が立ったことを覚えている。彼はその後その従業員30人程度の会社を継いで「社長」でいる。ダーウィンの語録ではないが、「環境に合わせられる者が生き残る」のは事実だ。その会社の事業内容を知っているが、もう時代に沿わなくなり、新規の開発に手を着けないかぎり、直に淘汰されるだろう。
と大人気なく、現実と子どもの頃を回想するのは少し恥ずかしい。
また暴力に頼っていたガキ大将的な人間の中には、今に到って、しっかり勉強をやり直してまともに仕事している者もいるし、どうにもこうにもしようのない者もいる。
これからの時代、後者は厄介だ。
世代人口も非常に多く、知識もなければ、職も食もなく、親と同居している者も少なくない。その親がいなくなった時、彼等は世の中に何らかの形で社会に出てくる。
回覧板がメールに変わり、固定電話はポケットベルや携帯電話を経て、スマートフォンに変わってきている。それらを使いこなす若い人たちは情報処理能力も高く、労働水準も変わっていることに気が付かないといけないと感じる。そしてボク自身も次の時代を向かえるにあたり、老後を考えておかないと怖い。
話を戻すが「長い道」には後日談の、「同級会」という短編作品があり、まだ未入手のため目を通していないが、疎開後/終戦後の各個人の生活観に触れている作品とのことである。是非読んでみたい。
ある時、急に読み返してみたくなって、探して揃えた単行本(全巻)である。
ちなみに夏に昆虫採集に向かうと、限界集落付近では廃校も多く映画さながらの光景はまだ見ることがある。
戦時中の疎開先でのいじめの話だが、仲間内というかグループや派閥等といった中での上下関係、暴力や発言の強さ等、社会を学び判断力を養うことも、様々な環境の場から形成されていくのも事実だろう。
原作は「長い道」(柏原兵三著 講談社)
表紙の「道」が印象的である。(追記:帯を外すと海があって、これは川かも知れません…。再考。)
この道は舗装されているが、現在も富山県入善に現存していている。
漫画からの最初の回想録の場面を掲載しておく。
世の中には、力のみで押さえつけ加減も知らない人間もいる。時代の変化とともに、このあたりを子どもとどう向き合うべきかボク自身考えないといけない。
話が逸れていくが、ボクが小さい頃、「俺のお父さん社長、お前のお父さんサラリーマン」とクラス中で言い放ち、親の立場を中傷する生徒がいた。今考えると何てことはないが、自分の親のことに触れられると腹が立ったことを覚えている。彼はその後その従業員30人程度の会社を継いで「社長」でいる。ダーウィンの語録ではないが、「環境に合わせられる者が生き残る」のは事実だ。その会社の事業内容を知っているが、もう時代に沿わなくなり、新規の開発に手を着けないかぎり、直に淘汰されるだろう。
と大人気なく、現実と子どもの頃を回想するのは少し恥ずかしい。
また暴力に頼っていたガキ大将的な人間の中には、今に到って、しっかり勉強をやり直してまともに仕事している者もいるし、どうにもこうにもしようのない者もいる。
これからの時代、後者は厄介だ。
世代人口も非常に多く、知識もなければ、職も食もなく、親と同居している者も少なくない。その親がいなくなった時、彼等は世の中に何らかの形で社会に出てくる。
回覧板がメールに変わり、固定電話はポケットベルや携帯電話を経て、スマートフォンに変わってきている。それらを使いこなす若い人たちは情報処理能力も高く、労働水準も変わっていることに気が付かないといけないと感じる。そしてボク自身も次の時代を向かえるにあたり、老後を考えておかないと怖い。
話を戻すが「長い道」には後日談の、「同級会」という短編作品があり、まだ未入手のため目を通していないが、疎開後/終戦後の各個人の生活観に触れている作品とのことである。是非読んでみたい。
by kerorin0501
| 2015-03-01 02:27
| 古書
|
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